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2014年12月16日

行ってみなけりゃわからない

関西不動産情報センター姫路地区のメンバーで研修旅行。

行先は『仙台』

被災地の『今』を見てきました。

寒波でしたが、雪の降ってない仙台空港に無事ランディング飛行機
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まずは、空港内で津波の高さを実感
行ってみなけりゃわからない

空港の東は、海なんですが、そこから3メートルの津波が押し寄せたらしい。

『語り部タクシー』に乗って、空港から海側に走るとポツンと一軒の家
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このあたりの地主さんの家だそうです。

津波は短手方向から来たので、かろうじて残ったようです。

この後は、高速道路に乗って石巻市へ

海と平行して南北に延びる高速道路が、3メートルの津波を止める防波堤になったそうです。

高速道路の海側は被災地、左側は無傷。それまでは無駄な高速道路と言われていたそうです。

1時間ほど走って、石巻市へ。

児童108人中74人が死亡、行方不明となった大川小学校。

小学校の周りには何もありません。

小学校から見て、海側には山があります。

このロケーションで津波が来るとは思えませんでした。

津波は、横を流れる北上川を逆流。

校長先生、不在の小学校では、どこに避難するか決めるのに1時間弱かかったらしいです。

その間に、川からあふれた津波に襲われてしまいました。

現在、『何が起こっていたのか』を知るために、裁判となっているそうで、

そのため建物も残っているそうです。

とても写真を撮る気持ちにはなれませんでした。

手を合わせて、次に向かったのは南三陸町。

小高い山に上りました。山から見下ろしても建物はありません。
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ここを襲った津波の高さは23メートル
行ってみなけりゃわからない

この下に、戸倉小学校があり、マニュアルでは津波が来たら屋上避難だったらしいです。

しかし、校長先生が、屋上の高さ以上の津波が来たらどうしようもないと判断し、

津波が襲う数日前、この高台を避難場所と決め、避難訓練も行っていたそうです。

おかげで、この小学校では犠牲者がでなかったそうです。

頂上の祠の中に避難した児童は、先生の掛け声の下、唄をうたって夜を過ごしたそうです。

戸倉中学校は、小学校と違って高台にあったため、津波には襲われなかったそうです。

津波がせまったあの日、冷たくなって意識のない人が中学校近くに流れ着いたのを発見。

生徒の数人が助け上げ、心肺蘇生を試みたそうです。

生徒の何人かが裸になり、その人を温め、助けようと頑張ったおかげで

その人は助かったそうです。

生徒たちは2月に消防署から心肺蘇生の講習を受けたところだったんですが

生徒たちが助けた人は、なんとその講習で心肺蘇生術を教えてくれた消防署員さんだったそうです。

次に向かったのは、『高野会館』
行ってみなけりゃわからない

ここでは当日330人のお年寄りが宴会中でした。

津波警報が出た時に、支配人さんはとっさの判断で玄関に仁王立ちし、

『逃げずに屋上へ避難してください』

お年寄りの足では、避難している間に津波に襲われると判断されたらしい。

結果的に津波は屋上に避難したお年寄りの足元で止まり、皆さん助かりました。

そのすぐ北にある『防災対策庁舎』
行ってみなけりゃわからない

建物は、山方向に少し傾いていました。

この建物の防災無線室で遠藤未希さんが、『津波が来ます、避難してください』

と放送を続け、この放送のお蔭で多くの人が高台に避難し助かりました。

津波に襲われるまで放送を続けた遠藤さんは、帰らぬ人となりました。

海側を見ても、建物としてあるのはこの二つくらい。

『なんにもない』ところに砂埃だけがたっていました。

ご冥福をお祈りし、昼食場所へ

南三陸さんさん商店街
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震災前は、海側にあった商店街がここに集まって営業されています。

今が旬の『いくら丼』
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被災されても頑張ってるお店を応援。美味しゅうございましたgood

昼食後は、先代方向にリターン。

『松島』
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『瑞巌寺』参道の杉の木も津波をかぶり、伐採されてるところもありました。
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国宝『瑞巌寺』は閉館中
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1日目の行程は終了しました。

『ひとつの判断』が多くの命の明暗を分けたことを痛感した1日でした。










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Posted by 平田 朗 at 17:50│Comments(3)会社学校コミュニティ
この記事へのコメント
こんばんは
私は大学時代の親友を岩手の陸前高田で失いました。
彼は市役所の職員で市民の避難誘導を最後までやり続け帰らぬ人となりました。
去年線香をあげさせて頂くため陸前高田を訪問し実際自分の目でみると涙が止まりませんでした。
今から25年程前その友人の結婚式に訪れた時の記憶は何ひとつ残されていませんでした。
しいて言えば「奇跡の1本松」だけでしょうか?私の思い出の中にはそれは綺麗な松林しか残っていません。
今コメントを打ちながらも記憶が蘇り涙が出てキーボードが霞んでおります。
消費税あげるなら震災復興に使って貰えるなら反対は致しません。私の友人家族は未だ仮設住宅で暮らしております。
Posted by サポータY at 2014年12月16日 22:16
サポーターYさん そうでしたか。

市役所職員の方や消防関係の方は職責を全うして亡くなられた方が多い

と聞きました。

簡単に『復興』と言いますが、私が見た被災地には『生活』がありませんでした。
Posted by 平田 朗平田 朗 at 2014年12月17日 11:01
まさにその通りです。
私も仮設に上がらせて頂きましたが住む所では有りません。
仮住まいが関の山で3年も居住する環境では決して有りません。
リニア作る前にする事有るだろうと想います。
Posted by サポータY at 2014年12月17日 11:44
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